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【バブル時代】六本木ディスコ照明落下事故 1988年

【バブル時代】六本木ディスコ照明落下事故 1988年

「トゥーリア」のビルから脱出する客たち 朝日新聞(1988年1月6日)

不時着する宇宙船のイメージのはずが……

本当に落下した照明装置

朝日新聞(1988年1月6日夕刊)

【事件の概要】

1987年(昭和62年)5月8日、東京都港区六本木に高級ディスコクラブ「TURIA(トゥーリア*)」(地下1階、地上2階)がオープンしました。

 *「トゥリア」と「トゥーリア」の2つの表記がありますが、このブログでは会社名以外は「トゥーリア」に統一しました

「トゥーリア」の内部 毎日新聞(1987年7月 高橋勝視撮影)

地下1階がダンスフロアで正面はDJブース 頭上の3重の照明装置(全体重量6トン)の2重目が従業員のボタン操作で点滅しながら昇降した

アレンジャーは空間プロデューサーの山本コテツ氏で、内装を手がけたのはSF映画「ブレードランナー」の美術コンセプトを担当したシド・ミード氏。

近未来惑星に故障した宇宙船が不時着したというコンセプトで、宇宙船に模した照明装置が吹き抜けの2階天井から吊り下がり、音楽に合わせて点滅しながら上下に動くという構造でした。

1988年(昭和63年)のまだお正月気分が抜けない1月5日午後9時40分ごろ、「トゥーリア」のウリだった巨大照明装置のうち、たくさんの照明やビデオモニターがついた1.6トンもある鋼鉄製の輪「ミドルリング」がフロアーで踊っていた30人ほどの客の上に落下、直撃を受けた3人が死亡、14人が重軽傷を負う大惨事となりました。

亡くなった3人 毎日新聞(1988年1月6日夕刊)

亡くなったのは、自衛隊中央病院高等看護学院3年で卒業を間近にひかえた大分県出身の溝部明美さん(当時21歳)、群馬県桐生市から友人と遊びに来ていた英会話学校職員の高木恵子さん(同26歳)、そして世田谷区に住む会社員の平田昌徳さん(同24歳)です。

朝日新聞(1988年1月6日)

毎日新聞(1988年1月6日)

【ディスコ「トゥーリア」と事故原因】

ディスコクラブ「トゥーリア」を作ったのは、1986(昭和61)年7月に設立された「トゥリア企画」(山田友直社長)で、運営は「エラ・インターナショナル」(佐藤俊博代表)に委託していました。

「トゥリア企画」は、丸晶興産(赤城明社長、1981年12月設立)という不動産会社の丸がかえ子会社なのですが、この親会社は都心のビルやマンション用地の地上げで急成長し、年間売り上げ250億円を超えていた、まさにバブル経済の波に乗った会社でした。

そして、このディスコの入ったビル一帯を再開発するまでの3年間限定でオープンさせたのが「3」を意味する「トゥーリア」でした。

問題の照明器具は、世界各地のイベントなどで使われていたアメリカのバリライト(VARI-LITE)社製の照明装置(自動で動く照明)というふれ込みで話題を呼んだのですが、実際に「トゥーリア」で使われていたのは、受注した日本の「電子照明社」(大島弘義社長)が「バリーライト」と称して下請け会社に作らせたコピー商品でした。

バリライト(例)

本来はこうした照明器具単体の名前ですがこれを用いた大規模な照明装置全体が当時「バリライト」と呼ばれていました

事故は、落ちたミドルリングを昇降させるために、照明装置を吊り下げたワイヤーを巻き取るドラムにモーターの回転を伝えるローラーチェーンが、重量計算を間違えた設計ミスによる強度不足で切れたことが原因で、それによりドラムが空回りして照明装置が落下したと分かりました。

読売新聞(1988年2月18日)

報道によると、使われていた2連式チェーンの「最大許容荷重」は1.3トンしかなく、そこに1.6トンのミドルリングの重量がかかったのですが、動かす時に実際にかかる負荷は「最大許容荷重」の2倍以上の3トンにもなったそうです。

しかも、設計では1日に4〜5回昇降させるとなっていたにもかかわらず、実際には店側の説明で1日に15〜20回、客の証言ではもっと頻繁に何十回と上下させていたとのことです。

事故のあった日、DJブースのボタンで装置を動かしていたのは22歳の女性従業員で、ミドルリングを上昇させていたところ突然停止し、直後に落下したそうです。

当初、彼女の操作ミスが疑われましたが、もちろん彼女には設計上の制限など何も知らされていなかったでしょう。

また、前年の1987年11月にリングの昇降がうまく働かなくなり、「ミドルリング」だけ動きを停止させていたことがあったそうです。

12月4日に電子照明の社員が点検して使用を再開したのですが、この時は操作盤のスイッチを修理しただけで、チェーンは点検しませんでした。

その後、12月26日にも定期点検がありましたが、やはりチェーンは見ておらず、動作確認だけで「異常なし」と判断されました。

こうして、事故を未然に防げたかもしれない機会が活かされないまま、定期点検からわずか10日後に惨劇が起きたのです。

朝日新聞(1988年1月6日夕刊)

この事故では、照明の昇降装置を設計・製作した会社(電子照明社の下請け会社)の桜井敏社長だけが業務上過失致死傷罪で起訴され、1992(平成4)年2月26日、東京地裁の原田国雄裁判長は被告に、禁錮2年執行猶予3年(求刑は禁錮2年)の有罪判決を言い渡しました。

判決理由で原田裁判長は、「綿密な強度設計をせず、経験に頼って部品選定をした安易な設計態度が事故を招いた」と指摘し、さらに元請け会社も照明装置の正確な予定重量を示さなかったとして、「他の関係者が注意を払っていれば(事故が)避けられた」ことから執行猶予をつけたと述べています。

朝日新聞(1992年2月26日夕刊)

こうした事故の責任追及でよくあるように、ここでも末端の末端の業者だけが責任を負わされ、3人もの死者を出した事故にもかかわらず、ディスコの所有者も運営者も照明装置納入(元請)業者も誰ひとり責任を問われないまま終わりました。

判決文を読むことができませんので詳しくはわかりませんが、裁判長が「他の関係者が注意を払っていれば避けられた」と判断したのであれば、それを唯一起訴された被告に執行猶予をつけて罰を軽減する理由とするのではなく、「注意を払わなかった」他の関係者の過失責任を問うべきではないのかと思わざるをえません。

なお、3年という期間限定でオープンしたディスコクラブ「トゥーリア」は、この事故により8ヶ月で閉店となりました。

また、事故現場の跡地の一隅に、慰霊碑代わりの地蔵尊が建立されたようですが、ほぼ誰も責任を取らなかった事故の結末を思うと、こうした形ばかりの慰霊で犠牲者の無念が晴れたとはとうてい思うことができない小川です。

平成の大不況のもとで生まれ、その中で生きてきた小川にとって、1980年代のバブル時代の日本は金銭的にも豊かだし、ディスコで踊る当時の若者たちの映像を見ても生き生きしているようで、すべてが輝いて見えますおねがい飛び出すハート

平成生まれの小川にとって、バブル時代のイメージはまさにゴールドカラーなのです。

しかし、「バブル(泡)」と言われるように、その豊かさも精いっぱいふくらませた風船を金色に塗った見かけの輝きでしかなかったことがバブルがはじけてわかり、その負の遺産をその後の世代が負わされ続けたわけですキョロキョロ

そうしたバブル時代の見せかけの華やかさと浮かれたような輝きの裏面を、いや本当の顔を、バブル崩壊に先立ってかいま見せたのが、バブル経済真っ只中の1988(昭和63)年に起きた、このディスコ事故ではなかったでしょうかキョロキョロ

当時、六本木を象徴する人気ディスコだった「マハラジャ」の生みの親である菅野諄(まこと)さん(当時52歳)を、朝日新聞がコラム「六本木このごろ」の第1回で「ディスコ演出家」として取り上げています。

朝日新聞(1988年4月5日)

車は3台。BMW、ベンツ、そしてロールスロイス。田園調布に230坪(760平方メートル)の自宅。プール付き。灰色と白の細かな格子模様が入ったスーツは、イタリアの「ジャンニ・ベルサーチェ」。ネクタイは同じイタリアの「アルマーニ」。フランスの「シャルル・ジョルダン」の黒い革靴。腕の時計はスイスの「ロレックス」、390万円。

いかにも「バブル」の体現者といういでたちの菅野氏は、勤めていた証券会社を31歳で「脱サラ」してこの業界に身を転じて大成功した人物。

当時のマハラジャ

彼は、バブルが膨らんでいく中で「新しい上流志向が出て来る」と感じたそうです。

土地の値上がりを前提にした投機が経済の主な原動力となり、「財テク(財務テクノロジー)」という名の「金もうけ術」に普通の人びともが踊らされて少しでも多く儲かる投機先を探し回した時代。

小川も祖父にそのころの話を聞くと、自宅や勤務先にまでマンションや宝石などを投資目的で買わないかというセールスの電話がうるさいほどかかってきたそうですびっくり

もちろん、バブルと言えどもすべての人が一攫千金によって上流志向を実現できないのは明らかですショボーン

けれども、当時の女子学生たちが気分だけでも高級志向を満たそうと競って身につけたシャネルやルイヴィトンなどのブランド品と同じように、ディスコも豪華な内装やきらびやかな照明、そして場にふさわしくない服装の人は丁重に入場を断るという「演出」で、来客が「特別」な高級感を味わえるよう競い合ったのです。

記事の中で菅野氏が、高級ディスコは「夢と希望と錯覚を売る」仕事だと言っていますが、事故が起きた「トゥーリア」にはまさに「夢と希望と錯覚」が詰まっていました。

「トゥーリア」に、不動産業の親会社が地上げ*で儲けた資金が投入されていたことは先に述べた通りです。

 *地主や借地・借家人と交渉し土地の売買契約や立ち退き契約を取りつけること。更地にした土地の転売や再開発で多額の儲けを得ることができた。バブル期には暴力や嫌がらせなどで無理やり土地を売らせたり立ち退かせたりする悪徳不動産業者も横行した。

読売新聞(1988年1月7日夕刊)

また、開店からわずか3年で閉店すると決めていたように、短い期間で儲けられるだけ儲けてサッと次のトレンド(流行の波)に乗り換えるという、その場その時の儲けがすべての根無草のような商いの仕方も、いかにもバブリーです口笛

さらに、1億7千万円を投じた豪華な内装と言いながら、一番の売り物である照明装置にさえ安価で粗悪な模倣品を使うという実体の安っぽさは、まさに見かけで「錯覚」を誘うやり方そのものでしょうショボーン

つけ加えて言えば、これだけの事故が起きても、丸投げの連鎖ゆえに「知らなかった」とほとんど誰も罪に問われることなく、うやむやに事が済まされてしまう無責任さも、バブルを生んだ土壌でありまたその結果でもあるのでしょうか。

「失われた30年」と言われるように、生まれながらに「景気のよさ」とは無縁の生活を生きてきた小川には、たとえ「錯覚」であっても「夢と希望」があるかのように若者たちがディスコではじけていた時代を見ると、羨ましく思うことがありますラブ

しかしよく考えてみると、錯覚でしかない「夢と希望」で一時の楽しみを得ることは、麻薬がもたらす幻想と快感におぼれて薬物依存者が身を滅ぼすことと同じなのかもしれないとも思います。

結局、「夢と希望」は、自分が今立っている地に足をつけ、根を下ろして地道に生きることを通してしか生まれてこないのではないかという、平凡な結論に踏みとどまるしかないと思い直した小川ですキョロキョロ

読んでくださり、ありがとうございますニコニコ飛び出すハート

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